懸命に泣くわが子と愚かな私について

先ほど、娘が就寝中に吐いた。横向きで寝ていたところ、急に仰向けになってバタバタとして泣き、ビシャリと枕元を汚した。私は一部始終を見守りモニターで見て、「吐いた!」と叫びながら急いで寝室に向かった。夫も次いで向かった。

 

 

階段を駆け上がりドアを開けると、今までにない泣き方をしている娘が一人寝室にいた。急ぎ電気をつけて、娘を抱き上げる。髪は吐瀉物で汚れていた。

生後11ヶ月にして私達親の知らない泣き方をしていたので、とにかく楽にしてあげたく、縦抱っこしながら服を脱がしてあげた。苦しそうに泣いていた。

一定のリズムを繰り返し泣く娘は、10分もすると落ち着いてきたのか泣きが収まってきた。

少し笑顔も見せてくれたので、私はスマホで「生後11ヶ月 嘔吐」と検索していた手を止めて、夫と二人で深く息をついた。

 

 

その少し前、私はまた「検索魔」と化していた。自傷行為のように、娘に関することと障害名を検索する。全体的に発達が遅れているから、もうやっぱりこの子には何かあるんだろうなぁと思ってしまった。次第にその思いが風船のようにパツンパツンに膨らんで、どうしようもなくスマホを手に取った次第。

なぜその風船を割ろうとせず、萎ませようとせず、更に膨らませるような行為をしてしまうのかは謎である。

 

 

それからの、娘の嘔吐。娘は懸命に泣いて、私たちに苦しみを教えてくれた。目を真っ赤に腫らして泣く娘は、温かく、脆くて、助けなければと思わせてくれた。愛おしかった。

そんな存在に対し、私がしていることはやっぱりとても愚かで、浅ましいと思う。

この子は圧倒的に自分の人生を生きようとしているのに、私はそれを否定するような感情を持って接している。何も決まっていない真っ白な彼女の人生を、早々に黒く塗りつぶそうとしているのだ。こんなにひどい親が居ていいのか?と自問自答してしまう。

「そんなことないよ」なんて言われたくて今書いているわけではない。書かずにはいられない。そうしないと私の愚かさを正常に受け止められない。少しでも冷静になりたいから、こうやって指を素早く動かし、スマホの画面に文字を連ねていくのだ。

 

結局のところ、夫の腕でまた安らかに眠りについてる娘を見つめながら、やはり私は自分のことしか考えられていないことが、何よりの私の愚かさである。

娘のために生きたい。いや、正しくは、娘の人生を豊かにすることを考えたい。それなのに、私はまだ、自分の人生のことを考えている。