母の勘は当たるという話

しばしば育児界隈で言われる

・母(親)の勘は当たる

というもの。

病気の兆候を察するときなどに使われることが多いだろうか。

 

これに苦しめられている自分がいる。

生後三ヶ月あたりから「おや?」と思うことが増えていき、どんどん娘への発達不安が募っていた。

どんなに周りに「普通の子」と言われても、ずっと拭えない。

それは上記の

・母の勘は当たる

という迷信が頭から離れないから。

 

分解すればこれは、毎日子供とともに生活している母は子どもの普段との違いを把握しやすいということで、また観察頻度が高いから〃、ということだとは思うが、そう思っても、

・勘

というスピリチュアルなものがどうしても優先されるような気がしてしまう。

 

こう書いていて、矛盾があることを自分で理解している。

・勘とは、第六感的なもの

であり、子供を観察してる中の違和感を並べて考えるのはとても理性的な行動であるから、勘ではない。もはや仮説だ。

 

私は、実は初めてNICUで娘の顔を見たとき

「あ、この顔は大丈夫だな」

と思った。そのときは胎児発育不全、動脈管開存症、脳室内出血、と生まれて初めて知る娘の状況に頭が追いつかなかったのに。

むしろすくすく成長している今より絶望的であったのに。

でも私は「大丈夫」と思った。

それこそまさに「勘」であり、

・母の勘は当たる

を信じるのであれば、大丈夫な気持ちを大切にするのが正解だ。

 

結局私は、自己防衛のために不安な要素を常に探しているにすぎないのだと思う。

もう出産のときのような突然の辛い出来事に怯えたくないから、常にリスクを想定しておきたい。

この自己防衛から解き放たれたい。

どんな娘でも受け入れられる存在でありたい。

 

と書いたものの、本音を言えば、上記の「大丈夫」な勘が、当っていてほしい。